
自由を野放図にしないで—
みんな互いに責任があるのだから
何かがおかしかった。
イエローストーン国立公園は廃れていた。野生生物も森林も衰えていた。そして1995年、保全団体が賛否両論ある、地元農家たちが好まない行動に出た。
狼の再導入だ。
狼の再導入がもたらしたイエローストーンの変化は、科学者たちがいまだ把握しきれないほど多岐に渡る。エルクがいかに柳やヤナギ科の植物を常食するかを変え、ビーバーを再起へ導いた。変化は連鎖的だ。科学者らが「食物連鎖」と呼ぶ変化があちこちで起きているのだ。結局は狼が生態系の鍵となっているから、狼がいないといわゆる全てが崩壊してしまうのだ。
何が言いたいか。
全ての生態系には鍵となる生物がいるという事。
全てが連鎖している。
全てが。
ポール・ホーキン著Regeneration: Ending The Climate Crisis in One Generation.の要点だ。鍵となる生物について記された章がある。私たちの畜産の在り方、食品製造と消費の見直しについての章もあり、貧困と汚染への対策についても触れられている。
解決方法が書かれた本だ。
もう自分達のしてきた事に尻ぬぐいをする時だ。
人を動かすには「時間をあげないといけないよ。」と、最近ある人から偉そうに言われた。
嘘っぱち。
時間は十分にあった。何十年も。
今はもうない。
UNの最新報告を見ても明らかだ。行動の遅れによる恐ろしい結果が、もう現れてきている。洪水、火災、嵐が世界を飲み込み始めている。目の前で起きている気候変動の現状は、もはや規模や期間を誇張できるようなものではない。
真に聖書に載るべき大惨事だ。
ここで「自由」という特別なブランド名に突き当たる。この数十年間、個人の自由を祝福して維持できないほどの資源を使い続けてきた。もうこれ以上は続けられない。消費を減らし、もっと慎重にならなければいけない。
ホーキン氏が言うように、
もし我々が2050年に今と同じように生活していたら、膨大なエネルギーが引き続き無駄遣いされているだろう。世界中の350ものクルーズ客船でダンスやギャンブルに明け暮れる50万人が、貴重なエネルギーを尋常ではないほど費やす。自分達の行動に気をつけなければ、持続可能なエネルギー源の可能性も将来の浪費に圧し潰されてしまうだろう…
たとえ持続可能なエネルギーでも、5000ポンドの電気自動車で夕食の中華料理のテイクアウトを取りに行くのは浪費だ。電気自動車に使われるリチウムイオン電池は、希少なミネラルを採掘して作られるのだから。
私達はどんな事でもして良いと思って育ってきた。衝動的で気まぐれな物欲しさにエネルギーや水を浪費するのを当然の事のように思い、便利さと自由を混同している。
こんな結果になる。
明確にしてきたように、これが自由の代償だ。これがプラスチックを生産、消費し、飛行機で世界中を飛び回り、チーズバーガーを食べ、リサイクルできないカップでコーヒーを飲む権利を主張し続けると起こる事だ。こんな火災が夏が来る度に至る所で起き、建物を破壊し、人々は住んでいた場所を追われ、生態系を崩壊させる。洪水が地図上から町ごと消し去り、台風で何億もの損害が出るのだ。
こんな自由は高額過ぎる。
命がけだ。
アメリカ人の多くに衝動買いを減らし、芝生の水やりを節約するよう頼むと想像してみよう。こんな小さな犠牲なのに、多くの人に個人の自由に対する襲撃だと受け取られてしまう。マスク着用のようなただの助言にでさえ暴力的に反発する人達もいるのだ。だから問題なのだ。自由であるという事が、目先の欲望にしか注意を払わず我がままで怠惰でいる事の言い訳になってしまっている。
私たちにとって致命的な事だ。
私たちの生活は、気候変動によって既に崩れつつある
この夏の初旬、知人が大気中の煙のせいでもう市街地では自転車に乗れないのだとこぼしていた。
文字通り弾圧されているのだ。
これまで夏は休暇の季節のはずだった。屋外で過ごし、自然に帰る季節。だが今はさほどではない。今は干ばつと災害の季節。大胆に行動を起こさないと悪くなる一方だ。
気候の破局により既に大勢が住んでいた所を追われている。家を失うのだ。行く当てもなく。こんな例はすぐ見つかる。そこら中に。否定などできない。
皆が認識していないといけないこと。
ここで起きている出来事なのだ。
否定にはもう耐えられない。
何が実際に起きているかを唱えると、悲観的だと言ってくる人が必ずいる。こういう人達はきっと、「何の話だか分からない。長い休暇を取っていたからね。」などと言うのだろう。
正直、この人達をどうにかしないと。
この議論にもはや「双方の」という物は存在しない。「意見の相違を互いに尊重し」とか「相手を思いやり」なんて言葉は、事実を見るのを拒否して贅沢を楽しむ人達には使えない。
信用すらできない。
研究がされているのだ。何千もの論文やブログが明確に、冷静に何が起きているかを示している。ほとんどの人が地球温暖化や気候崩壊が現世代の最大の課題だと知っている。
議論の余地もない。
大胆で急進的な行動を取る事だ。
個人が「正しい事」をするのを期待してはいられない。
法律が必要だ。
皆に疎まれる事だが率先してしないといけない。
ホーキンの本のある章に、チリがどのように自国の肥満問題に対応したかが記されている。ただ議論をしただけでなく、行動したのだ。国民を教育し、食品業界や広告業界を規制する法律を採用した。
ジャンクフードに怖い警告ラベルをピシャリと貼り付けた。「自由」についての無駄な議論ごっこなどはしなかった。
これに何を学ぶかは明白。議論と教育には時間も場所もあり、人々の意識を高める人達もいるのだ。ここで止まるわけにはいかない。法律と施行で後押しするのだ。
これに反発する人はいるだろうか。もちろんいるだろう。
とにかくやるのだ。
個人と集団での行動が必要だろう。
全ては連鎖しているのだから。
生産と消費は繋がっている。
買う人がいるからプラスチックが売られる。許されているから、アマゾンは従業員を都合よく酷使する。ハンバーガーが食されるから農家は牛を育てる。着る人がいるからファッション業界はリサイクルできない素材の服で店を一杯に満たす。消費が生産に影響している。自分達の財布と相談する事だ。
自分達の投票権とも話すこと。
行動は連鎖している。
今やるべき事は三段階だ。まず消費を減らす事。そして新たな生産方法を追求し、住み難くなってきている地球の生活に適応しないといけない。ジオエンジニアリング(気候の人工的変革技術)やDAC(大気中二酸化炭素の直接回収)を探求できても、これらは魔法の解決法ではない。魔法に頼るのはもう止める時。ある意味こういう考え方のせいで今の窮地に至っているのだから。
行動には多くの形がある。
気候変動についてツイッターに載せるのは何も悪い事ではない。正直私はギリシアで起きた火災やアリゾナの洪水の映像にこの世の終わりを見ているような気分になり、余計に使命感に駆られる。現状を再認識し、動機付けられるのだ。
現実を見させられる。
真実である限り、誰もがブログやフェイスブックで意見を主張していい。行動で示している限り。私がしている事はと言えば、植林に寄付し、二酸化炭素を減らすための本を読んでいる。
Regenerationのような本だ。
本に書かれている事を実行している。
誰も気候の殉教者ではない。
環境汚染に対する罪悪という物は存在するが、愕然とさせられる。
自らの日常生活のほぼ全ての行動が気候変動を悪化させていると認識している人達もいる。自発的に犠牲を払い不便な生活をする意味があるのかと、首をかしげる事もある。
意味はあるのだ。
誰も私たちが環境につけてきた足跡を今すぐにゼロにする事はできない。大規模なやり方で少しずつゼロに近づける事だ。自分たちの考え方や生き方を変える準備ができていると示さないで法律を作ってほしいと要求しても、CEOや政治家たちは真剣に受け取らない。皆人間だから、自らの信条と相反する事をしてしまう時もある。それで罪悪感を覚えるが、気候変動の報告を否定したり、水の無駄遣いと言われながらも毎日夕方に芝生に水を撒くのよりは遥かに良い。
必ず、お前は環境の殉教者ではないと言って、馬鹿にしたり黙らせようとしたりしてくる人達がいる。
されるままになってはいけない。
自由を野放図にしないで。
アメリカは大きな課題を抱えている。他の国々でも同じ。自由が歪んだ形で理解されている。この国の多くの人達が、やりたい事は何でもしていいと信じている。
それで何か強い行動を起こす事が邪魔される。
自らの首を絞めている。
アーノルド・シュワルツェネッガーの言葉を借りよう。
「自由を野放図にするな。自由とは義務と責任を伴うものなのだから。」
共和党の話し方だ。
もっと分かりやすく書こう。いつでも好き勝手できる権利など誰も持たないという事だ。感染症が広がっている時だけに限らない。この星が焼かれている時だけに限らない。国家の法律の下、自由という幻覚を見ているかもしれないが、自然の法の下で自由は存在しないのだ。
誰一人結果から逃れられない。
皆が幻の自由を見ていて、誰もがその辺に座って自由にやれる事を話している。簡単だ。自由があるからこそできる意味ある事を話す方が難しい。義務と責任に見合う事で、本当の自由を手に入れる方が難しい。
これが課題なのだ。
https://aninjusticemag.com/screw-your-freedom-we-have-responsibilities-to-each-other-36e2e0a7cc30
メグによる翻訳:
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